南国フィジーで、のんびり退職生活

南太平洋のフィジー共和国で、のんびりと退職後の生活を送っています。フィジーの現地の色々な情報を発信します。

フィジーの生活 「牛骨スープ・スイ(Sui)」

先日、朝早くから大きな音がするので出てみると、駐車場にビニールシートが広げられて、絞められて大きく切り分けられた牛の体がコロがされていました。


その側で、出張してきた肉屋が斧で骨をぶった切り、さらに牛刀で、肉を小さく切り分けていました。


夕方、大家の奥さんから、2kg以上の牛肉と牛骨のおすそ分けを頂きました。


回教徒(ムスリム)の祭事用に準備されたようです。


早速、フィジーの郷土料理「スイ(Sui)」(牛骨のスープ)を調理しました。


水で血と汚れを洗った後の、約1kgの牛骨。




鍋に全部入れて、熱湯で15分ほどゆでてから、冷水でさらに汚れを落とします。
かなりの灰汁が出てきます。鍋も洗い直します。


冷水で汚れを落とした後の牛骨。


これを一緒に煮込みます。塩は、小さじ2。


すべての材料と、水 2000ml を、高圧力鍋に入れたところ。


蓋をして、強火にかけ蒸気が出だしたら、弱火にして30分加圧します。火を止めて圧力が下がったら蓋を開けます。



蓋を開けたところ、このまま3時間ほど置いて味をなじませます。
浮いた油はなるべく取り除きます。
その後、ざるで濾して、スープと牛肉だけを鍋に戻して、中火にかけ胡椒と塩で味を調整します。


熱々のスープを皿に入れ、前もって塩茹でしていた、ウォーター・クリス(野生の野菜)を加えて、「スイ」の完成。


こちらの方は、これに茹でたダロ(タロイモ)かキャッサバと一緒に食べています。
さらに、チリやレモン果汁を入れる方も・・・


普通の鍋の場合は、2時間以上煮込むそうです。


ローカルの食堂で、1人前、9F$(約560円)位で出しています。


塩と胡椒だけの味付けですが、素朴で大変美味しいスープです。
我が家でも好物なので、町の肉屋にスープ用の牛骨が出た場合、時々買ってきて「スイ」を調理します。
なにしろ材料費が安いので助かりますよ(笑)





















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フィジーの歴史 番外編「バナバ民族の悲劇」

皆さんは、ハワイとオーストラリアのほぼ中央に位置する英名;オーシャン(Ocean) 島をご存知でしょうか?
日本では「太洋島」と呼ばれていた赤道直下の太平洋の小さなこの島の人々は、島をバナバ(Banaba) 島と呼び、自分たちをバナバン(Banaban) といってます。





現在のバナバ島。島の内陸部全体が、燐鉱石の採掘されつくされた跡で草ぐらいしか生えないほぼ不毛地帯となっています。


1900年に、純粋な燐酸塩でバナバ島が覆われているということが発見されました。
この運命的な発見は、その後島で始まった燐鉱石採掘によってもたらされた、「バナバ民族の悲劇」の始まりでもありました。


燐鉱石の採掘は、英国・オーストラリア・ニュージランドの政府国策会社によって開始されました。


第二次大戦の間、日本軍は採掘作業を引き継ぐ目的で、バナバ島に軍事進攻し占領しました。
日本軍は、採掘の邪魔としてバナバ民族を他の太平洋の島に全員を強制移住させました。


大戦後、バナバ民族は英国の植民地政府より、彼らが故郷のバナバ島に戻る事は出来ないと言われました。
植民地政府は、豊富な燐鉱石を継続して採掘するために、日本軍の侵略破壊工作を誇張した嘘をバナバ民族に伝え、もう戻れないし、住むことも出来ないと言ったのです。


1945年12月15日、バナバ民族は、連合国と植民地政府により2000マイル離れた、現フィジー共和国のランビ (Rabi) 島に強制移住させられました。
軍用テントと僅かばかりの食料以外には、全くのサポートもなく捨てられたのです。


将来、バナバ島への再訪、バナバ島は彼らに土地の権利があり、将来は戻れると確約はされましたが。


フィジーのランビ(Rabi) 島へ強制移住直後のバナバ民族の軍用テント村。


フィジーで3番目に大きなタベウニ島の、すぐ北に位置する、ランビ島。
ちなみに、ランビのすぐ南西のキオア(Kioa) 島には、ツバルからの移住者の村があります。


私も、フィジーに来た当時、ランビ島には、キリバスからの移住者の村があるとは聞いていましたが、植民地政府により故郷を追われて、強制移住させられた、バナバ民族とは知りませんでした。


1979年11月、ついにバナバ島の燐鉱石がすべて掘り尽くされました。バナバ民族の財産資源であった燐鉱石は、その利益を手放さなかった独立直後の、キリバス共和国によって最期の出荷がなされました。
そしてまた、バナバ島は放置され、キリバス政府からの関心も人々の心からも忘れられようとしています。
キリバス共和国からも遠く離れた絶海の孤島の独自の文化と言語持っていたバナバ民族は、祖先の地から遠く離れた、フィジーのランビ島で忘れ去られそうになりながら生き抜く壮絶な戦いを現在も続けています。


バナバ人の民族衣装。



子供たちに受け継がれる、バナバ民族の伝統の踊り。



燐鉱石採掘にからみ、先進国の利益追求のためだけに、小さな民族が翻弄され、それに日本も深く関わりながら自分たちは、戦後70年、「憲法9条」と「アメリカ軍」にぬくぬくと守られながら戦後はもう終わったなどと天下泰平を決め込んでいますが、世界にはバナバ民族のように、未だ戦後が終わらない方々がいて非常に厳しい生活を強いられている事を知ってほしいと思います。


今回、フィジーの歴史資料を検索中にバナバ民族の悲劇を知りました。


彼らが、フィジーのランビ島(他のフィジーの島と一緒で電気も水道設備もないところです)で細々と暮らし、それに日本が深くかかわっていた事を知り、現在の日本の国民の贅沢な生活環境と比較して何とも言えない恥ずかしさを感じています・・・


現在、オーストラリアや日本のNPO法人が協力して援助活動をされているようですが、バナバ島の環境破壊に関わり、燐鉱石で莫大な利益を上げて発展してきた、英国・オーストラリア・ニュージランド・日本が国を挙げて、バナバ島の環境を整備し、ランビ島のバナバ民族が故郷に一日でも早く戻れるように努力するべきだと、私は深く思いますが・・・

















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フィジーの生活 マーチンタールのフリーマーケット

土曜日は、マーチンタールのRBスーパーの奥でフリーマーケットが開催されます。



インド系のお店。右側は、インディアン菓子、左側は、マンゴーなど果物や野菜のチャツネ(インド料理の薬味)、カリーと一緒に食します。私は、マンゴーの皮つきのチャツネが好きです。
右端の袋入りは、1F$(約62円)、箱入りは、1箱、5F$(約310円)です。


乗用車の後ろで、店開き。


自家製のチョコレート・カップケーキ、1個、1F$(約62円)を売ってます。


中古の洋服を売ってる、陽気なフィジーアンのご婦人たち。


写真をねだられての一枚。


何軒ものお店で売られている、お花の苗。


これは、白檀(Sandal Wood) の苗木です。左端の小さめの苗木で、10F$(約620円)、次が20F$(約1240円)、30F$(約1860円)と大きさ順です。
結構、良い値段ですが、成長すれば高額で売れるそうです。
19世紀初めに、この白檀の木が、フィジーで発見された事で白人の入植が始まりました。


自家製ドーナッツ、1個、1F$(約62円)。各種小物も販売。


サボテンの苗も・・・


余分の服を売りに来た、フィジアンの若い女の子。


1皿、3F$(約184円)のパパイア。


靴から洋服、お人形まで売ってる小物屋さん。




以前よりは出店数が減っていますが、この場所でもう5~6年は続いています。


毎週土曜日の朝の楽しみです・・・









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