南国フィジーで、のんびり退職生活

南太平洋のフィジー共和国で、のんびりと退職後の生活を送っています。フィジーの現地の色々な情報を発信します。

フィジーの歴史 「ビセイセイ村(Viseisei)」2

フィジーは、1874年10月に正式に、英国の植民地、いわゆる英国領になりましたが、英国はフィジーに「間接統治」と呼ばれるルールを適用し、フィジー人の伝統的社会組織と権力構造を基盤にして植民地経営を行いました。


つまり、大酋長(Hight Chief)を頂点に、酋長(Chief)たちと一般の人々という古来からの伝統習慣でフィジーを統治して行ったという事です。


21世紀の現在でも、この権力構造は、隠然として継続されています。フィジー人の村では、今でも酋長さんたちが治めています。


フィジーでは部族長クラスは、名前の前に「ラツ」(Ratu) という称号がつきます。
ラツの息子もラツの称号が付くので、日本の「殿様」「若様」という感じだと思います。
ちなみに、ラツの娘の称号はアンディ(Adi)です、日本の「姫様」という意味でしょう。


私の嫁も、一応、アンディですが・・・


村の海岸から、ブンダ・ポイント方向です、丁度満潮時で砂浜は波の下です。


こちら側が、ナンディ方向です。


さらに村の奥に進むと、広場にでました。


広場の奥にある多くのお墓。


この方は、ラツが名前に付いているので酋長の一人だったのでしょうね。


ひときわ目立つ大きな門構えの、歴代大酋長たちの墓地、一段と高く作られています。
門の右奥に、真新しい箱形のお墓が見えます。


これです。


実は、これが、フィジーの前大統領の、ラツ、ジョセファ・イロイロ(Ratu Josefa Iloilo) 氏のお墓です。
もちろん当時のビセイセイ村の最高位の大酋長さんでした。
2000年から、2009年まで、2期、第3代、第4代の大統領を務められました。
病気を理由に、2009年引退後、病気治療中の、2011年に死去されました。


裏に回ると、3年前亡くなった奥さんの墓地を、コンクリートで建設中の方々と出会いました。
フィジー人の一般人の場合、お葬式したその日に土葬して石などで囲っておいて、2~3年後に地上部にコンクリートで石棺を建設します。


墓地の奥にあるバナナの樹林、この広場の奥に幾つもの貧相な感じのバラック住宅が見えましたが多分この村以外の人々の住居と思われました。


広場から海岸側の方向の、パンの木の林。


水は見えませんが、小川みたいな所に植えられている、タロイモ。
タロイモは沢山の水を必要としますのでどこでも栽培は出来ません。



次に続きます・・・






















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