南国フィジーで、のんびり退職生活

南太平洋のフィジー共和国で、のんびりと退職後の生活を送っています。フィジーの現地の色々な情報を発信します。

フィジーの歴史 「ビセイセイ村( Viseisei )」

ナンディ国際空港に、午前中に到着した観光客たちが、午後のホテルのチェックインまでの間に半日観光を希望した場合、必ず訪れる観光のスポットに「ビセイセイ村」があります。


「ビセイセイ村」は、ナンディ国際空港からナンデイ湾にそってクイーンズ・ロードを、北に約10km行った、ブンダ・ポイント(Vuda Point) の手前の海岸にそった所に位置しています。


この「ビセイセイ村」は、大昔、最初のフィジアンの祖先が上陸した地としてされ、フィジアンの起源の村として絶大な力を持って来ました。村内にはかっての大酋長たちの大きなお墓がたくさん残ってます。
フィジーの歴代の政界人にも、この村出身の方がたくさんおられました。


2011年に亡くなった、前フィジー大統領イロイロ氏も、この村出身でお墓も村内にあります。


西暦500年頃、この村が始まったのではとの学説がありますが・・・


村のナンディ寄りにある入り口の、村人手作りの民芸品売り場。


でもまず最初に、民芸品売り場の前に置かれたこの箱に、村の入場料の、5F$を入れます。


陽気なフィジアンのご婦人。


入り口を入ったすぐの所にある、1840年代、ビチレブ島にイギリスの宣教師たちが初めて上陸した記念碑と説明されました。


ジョン・ウェスレイ教会(John Wesley Methodist Church) です、この教会で外国人も結婚式を挙げる事が出来るそうです。


村の大酋長のブレ、今は中を見学できませんが、現在は人は住んでないと思われます。


この家も典型的な、フィジー伝統様式で建てられていますが、屋根は茅葺でなく波板で葺かれてます。
この家も記念で保存されていると思われ、人は住んでません。


この家は屋根がフィジー様式ですが、現代の家で村人が住んでいます。



村の住宅街。


村内を散策中に出会った、村の子供たち。


木の皮を削いでいた女の子、煎じると風邪の民間薬になるとの事。


左右に見えてるのは、ブレッド・ツリー(パンの木)です。右奥はお墓。



これがパンの木の実、ブレッド・フルーツです。
主食の一部が、そこいら中に生えていて、何時でも収穫して食べられると言うのは、最高ですね。


1787年11月、後で有名になる「バウンティ号」がタヒチに向かってイギリスを出航したのは、このパンの木の苗を採集するためでした。


最初に南太平洋の島々に上陸した、欧州の宣教師たちが嘆いて切り倒したのは、この木です。


すなわち、何時でもどこでも主食(食料)が手に入るのは、人間の堕落の源だと・・・


私は、かって南太平洋の人々が、ヤシの木陰で、のんびりと暮していたのが、人間の堕落とは、到底思いませんが、逆に「南の楽園生活」ではなかったかと思います・・・




次に続く・・・














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