南国フィジーで、のんびり退職生活

南太平洋のフィジー共和国で、のんびりと退職後の生活を送っています。フィジーの現地の色々な情報を発信します。

フィジーの歴史 「黎明期」

Wikipedia のフィジーの項の、歴史によると、
約8000年前、この地にメラネシア系パプア人が住み着いた・・・
と記述がありますが、その考古学的な根拠を探しましたが今のところ見つかりません。


国立民俗博物館によれば、人類は大きく2回にわたって東南アジアからオセアニアへ移動した。
その最初の移動が、6万年前~3万5千年前で、東南アジア方面(東南アジアの島々や東アジア大陸)から、現在のオーストラリアやニューギニアの内陸部や沿岸部で住み始めたのは、オーストラロイド・メラネシア系(オーストラロイド)の人々であったといわれている。
さらにこの人々が、海を渡り各島へ移住して行ったのは、約3万5千年前のことといわれ、それを示す証拠として、同時代の有袋類のクスクスや黒曜石がソロモン諸島までの島々で多数出土していると解説しています。
多分、その後数千年を経て、一部の人々が、フィジーに到達していたとは考えられますが・・・


次に、紀元前1300年以前と推定される土器類がビチレブ(Viti Levu)島から発掘されていると記述されています。
「地球の歩き方」’13~’14のフィジーの、歴史の説明(P300)でも、フィジーに最初に人が住み始めたのは、紀元前1300年頃とされている。と記述されてます。


この説については、フィジーのビチレブ島(本島)のナタンドラ(Natadora)海岸、ツヴァ(Tuva)川の河口、ボウレワ(Bourewa)で発見された貝塚遺跡の考古学調査(南太平洋大学とスバ博物館により、2005年6~7月に実施)において、16体の人骨と大量の土器、石器、貝製品の破片などが発掘されました。


年代等の詳細な測定の結果、本遺跡は、ラピタ人と命名されている人々の居住遺跡(貝塚遺跡)であり、発掘された土器の一部はラピタ式土器であり、周辺地域(Qoqo遺跡、Rove遺跡、Waikereiro遺跡など)でも最古(約3000年前以上)の遺跡である事が判明しました。


これが、フィジー、ボウレワ遺跡で発掘されたラピタ式土器の破片。
現在、鹿児島国際大学の考古学ミュージアムで保管、研究がなされています。


ナタンドラ・ビーチの現在の風景。


”世界の美しい海岸10選”にも選ばれた事がある、ビチレブ島で一番美しい海岸「ナタンドラ・ビーチ」の南の端にある、ツヴァ川河口に、約3000年前以上昔に人々が暮らしていたとは、はるか太古のロマンを感じますね・・・


このラピタ人と呼ばれる人々は、人類史上初めて遠洋航海(その航海技術は、「ウエイファインディング」と呼ばれています。)を実施し、太平洋の島々に住みついたと思われる民族で、そのルーツは不明ですが、5000~6000年前の台湾、中国南部のオーストロネシア人かもしれないと言われています。
この人々の移動が、国立民俗博物館の言う、オセアニアにおける2回目の大きな人類の移動で、最初に南に移動しビスマルク諸島に住みつき、さらに東に海を渡り、島伝いに移動を始め、フィジー、トンガ、サモアを経て、イースター島まで、さらに東に進み南アメリカに達したのではないかと推測されています。
南アメリカ原産の、サツマイモが南太平洋にかなり古くから栽培されているのは当時の交流の産物と考えられるそうです。


ラピタ人は、現在ポリネシア人と呼ばれている人々の遠い祖先だと考えられています。


日本の縄文人、縄文土器との関係も推測されています。


ただし、この当時のフィジーに住んでいた人々は、現在ニューカレドニアに住んでいるメラネシア人と同じとされ、メラネシア、ポリネシアの混血とされる現在のフィジー民族は、その後に形成されたものと推測されているそうです。


















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