南国フィジーで、のんびり退職生活

南太平洋のフィジー共和国で、のんびりと退職後の生活を送っています。フィジーの現地の色々な情報を発信します。

フィジーの生活 「在留届」

旅券法第16条により、外国に住所又は居所を定めて3カ月以上滞在する日本人は、その住所又は居所を管轄する日本の大使館又は総領事館(在外公館)に「在留届」を提出するように義務付けられています。


この届け出は、実際に現地に行かれた後に行うものですが、住所などが決まったら「在留届電子届出システム(ORRnet)」サイトから在留届を提出しますが、もちろん「在留届」用紙による提出(持参、FAX、郵送)も可能です。


この届け出に基づき、安否確認、緊急連絡、救援活動、留守宅への連絡などがスムーズに行えます。


特に、政情不安な国々、地域に滞在されている日本人には重要な情報源になります。


私が、フィジーに来た頃はネットの環境が無く「在留届」は、直接、フィジーの首都のスバの日本大使館に申請に行きました。
その時、電話での緊急連絡網(昔の学校の連絡網とほぼ同じ)が書かれた用紙をいただきましたが、
約一年後に起こったスバを中心とした「市民クーデター」では電話設備などが破壊されたため?私が当時滞在していた島では、その日の朝から電話が不通となり全くお手上げでした。


実際、私がクーデター発生の事実を知ったのは、その日の午後、FMラジオの放送を聞いた隣の島の地元民のボートによる連絡でした。


現在は、大使館から、大型サイクロンの接近情報から地震・津波の情報など、さらに治安情報までメールで送られてきて大変助かっております。



さて、約10日前にフィジーに移住してきた日本人夫婦のガイドを兼ねてスバに日帰りして、日本大使館で「在留届」用紙による申請と「フィジーの運転免許証」申請のための「日本の運転免許証の英語版」の申請(申請料、F$77,約5550円)も行いました。


この「日本の運転免許証の英語版」は直接大使館に申請しなければならないので、ナンディからスバまで、約200kmのタクシーで往復の日帰り旅行でした。


フィジーではこの「日本の運転免許証の英語版」をフィジーの運転免許証を発行する機関(LTA)に査証のコピーと共に提出すれば、約10分で簡単に取得できます。約6年前は、最長6年もので、F$50(約3200円)位の手数料でした。


お連れしたご夫婦は、スバは初めての訪問とのことで、申請後にまず「フィジー博物館」を見学しました。

昨年の総選挙後の民主政権の組織変更で、博物館は独立法人となり大人の入場料が統一のF$10-(約620円)になっていました。
その前までは、学生割引、シニア割引がありましたが・・・


館内は、大型観光船のスバ港寄港に伴う多くの旅行者で賑わっていました。展示方法も以前と大幅に変更され説明なども拡充されて見学しやすくなっていました。


昔のフィジーの戦闘カヌーの実物展示。


攻撃用のスピア(投げ槍)が準備されている様子。


帆をはった戦闘カヌーの模型展示です。


当時の大型戦闘カヌー同士の戦闘中の復元図です。



フィジー人の伝統的なクジラの骨や歯などで作った酋長用の装飾品の展示。


18世紀末から19世紀初め頃に、フィジーに上陸してきたのは、「ビーチコンバー」で、本国からの逃亡者や戦艦からの脱走者などの、いわゆる“海のならず者”たちで、上の写真は、当時彼らが持ち込んだ武器の数々です。


いわゆるラピタ人と呼ばれ、現在のポリネシア人のルーツとされている海洋民族の、民族移動を解説したパネルです。



フィジーの貝塚遺跡から発見され、学術的に約3300年前のラピタ式土器の破片と考古学的に認められました。
今では、日本の縄文土器との関連性も考古学的に認められています。


はるか昔に、ラピタ人は、中国の南部か台湾方面から南下を開始し、ビスマーク諸島で先住民との混血を繰り返し、約3300年以上前にさらに東方に移動してフィジーに達したと考えられています。


その後、多少の買い物もして、午後3時にスバを出発し、6時半ごろナンディに帰りつきました。



私の考えは、地元の大使館を通して幾ら情報を得ていても、最終的には海外に在住するという事は、自分で日頃から危機管理に努め、事故や災害に巻き込まれないようにする努力が必要と思います。






















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