南国フィジーで、のんびり退職生活

南太平洋のフィジー共和国で、のんびりと退職後の生活を送っています。フィジーの現地の色々な情報を発信します。

「フィジーと日本との貿易・投資シンポジウム」

今年の5月に日本の福島県・いわき市で開催された、「第8回太平洋・島サミット(PALM8)」を受けて、日本とフィジー両国の企業が両国における投資とビジネス機会を模索する、両国の歴史上初めての「フィジーと日本との貿易・投資シンポジウム」が7月9日(月)~10日(火)の二日間、デナラウ島の「ソフィテル・フィジー・リゾート&スパ」で開催されました。
さらに、約9年ぶりに日本の成田国際空港への直行便が、7月3日から、フィジー・エアウェイにより復活しましたので、それにも合わせて日程が組まれたと思います。


日本側は、日本国政府、スバの日本大使館(日本大使始め各書記官も出席)、日本貿易振興機構、太平洋諸島センター、東京商工会議所など関係機関の協力、フィジー側は、フィジー政府、観光、貿易、投資に関係する各省庁の協力で開催されました。


開会の挨拶中の、在日フィジー共和国大使イシケリ(Mr. Isikeli Uluinairai Mataitoga)閣下、壇上には、日本側の主賓(右端)の高橋克法国土交通大臣政務官とフィジー側の主賓(中央)͡コヤ・ファイヤズ産業貿易観光及び国土鉱物資源省大臣が臨席されてます。


会場を埋める両国の出席者たちです。


日本側の主賓、高橋克法国土交通大臣政務官は、挨拶の中で、スライドを使って、これまでの日本とフィジー両国の貿易関係などの説明をされました。


主賓の挨拶のと昼食後、フィジーの貿易と投資に関係する各省庁の担当者及び「マナ・アイランド・リゾート」、「アンディ・チョコレート」など、既にフィジーで投資をされてる日本資本の担当者のプレゼンテーションが続きました・・・


会場の入り口に展示されてる、メイドイン・フィジーの商品各種です。


フィジー産コーヒーの「ブラ・コーヒー」の特設展示がありました。年間の生産量は、まだそれほどでもありませんが、徐々にファンを増やしてるようです。


初日のシンポジウムが終了して、夕方から「ネットワーキング・カクテル」と銘打った、カクテル・パーティーが開催されました。開会の挨拶を行う、在日フィジー大使です。


パーティーの参加者たちです。


フィジーの伝統的な「カバの儀式」が披露されました。




「カバの儀式」を執り行った、ホテルのフィジアンのスタッフたちです。


最後は、かなり盛り上がってました。


2日目は、日本からの各社が、テーブルでブースを作り、地元の企業からの投資や貿易の相談を受けました。


コーヒー紅茶のサービスのテーブルです。


このテーブルでは、午後まで相談が続き、やっと一段落した様子です。


2日目の午前中は、フィジー政府の各省庁や地元の民間企業の担当者多数の来場で、日本各社のブースは大変な賑わいでした。
昼食休憩を挟んだ午後からは、現地視察に出かけた日本企業も多くブースは半減しましたが、残りのブースでは終了時間まで活発な相談風景が見られました。


今回のシンポジウムは、もちろんフィジー政府が主催で、在日フィジー大使館と地元商工会などが企画運営を担当したようですが、ほとんどこのようなイベントの経験が浅く、私から見れば、まだまだ課題も多く見受けられました。


今回は、私と友人二人で、通訳として参加し、日本の参加者さんたちとフィジーの参加者さんたちの交流の橋渡しをお手伝いしました。


最後に、フィジー政府は、過去約10年間は、大幅に中国寄りにシフトしてきた経緯がありますが、ここ数年、中国資本の現地でのトラブルが続き、再び日本を見直し、日本に再びすり寄ってきた感じがします。
もちろん、私たち在留邦人の立場としては、日本とフィジーの関係が正常な状態で、もっと活発に進んでくれることを願ってますが・・・




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「モミ要塞」(Momi Gun site)

第二次世界大戦時、敵の侵略に備えて配置された数々の大砲。約20kmに渡って配備されていましたが、結局戦闘に使われることはありませんでした。
今は、フィジーのナショナル・トラスト(National Trust of Fiji Islands)の管理下にあり、静かにモミ湾の美しい景観を見守ってます。


この大砲は、「キングス・ガン」(King's Gun)と表示されてます。


こちらは、「クイーンズ・ガン」(Queen's Gun)と表示されてます。



この二つの砲は、6インチ砲で、長さは、7m、重さは、7.5トン、45kgの砲弾を使用し、射程は14km以上だったそうです。


二つの砲の後ろに位置する、指揮所です。



砲座からの、モミ湾の素晴らしい眺望です。


すぐ側の、気象観測システムです。


管理棟の受付です。入場料、大人1名、5FJD(約300円)です。
彼が、「日没が素晴らしい眺めになるよ。」と言ってました。




当時は、フィジー人の兵隊は、オーストラリア軍やニュージーランド軍の一員として参加してたそうです。




当時を偲ばせる、白黒の写真が沢山展示されてます。


第二次世界大戦時の旧日本軍の占領地の地図が展示されてました。旧日本軍の南下は、ソロモン諸島で途絶えてます。




私の感想は、実際に戦闘がなくて幸いだったと思います。この程度の防塁だったら、旧日本海軍の戦艦の艦砲射撃を受けたら、跡形もなくなっていたと推測されました。


何といっても、小高い丘の上に位置するため、村や山、サトウキビ畑、モミ湾の素晴らしい景色が一望できます。





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フィジーの生活 「トロピカル・サイクロンの連続来襲」

「トロピカル・サイクロン」(Tropical Cyclone)とは、熱帯(性)低気圧、つまり一般には熱帯地方に発生する種類の低気圧を指す用語です。なおこの「熱帯」とは、発生する場所を指す用語ではなく、サイクロンの構造を指す用語です。つまり実際には、それがどこで発生しようが、熱帯性低気圧の構造をもつものはすべてトロピカル・サイクロンです。また一つ一つに名前が命名されるという点も、トロピカル・サイクロンに特有の慣習です。天気図などでは、トロピカル・サイクロンは、「TC 」と略記されてます。


フィジーでは、今年の2月に、TC GITA(トロピカル・サイクロン ギター)が、南の海上を通過しました。
このサイクロンは、フィジーの北の海上を東に移動しつつ発達し、サモアに接近し、その後時計回りに南下し、トンガを襲い多くの被害を与えてフィジーの南海上を通り過ぎました。
その後も低気圧で天候はぐずつき、3月になってやっと青空が回復しました。


3月の暑さは、1月、2月を上回るものがあり、毎日暑い日が続いていました。


ソロモン諸島付近に発生した、低気圧が急速に発達し、季節外れの、TC JOSIE(ジョシ―)カテゴリー1」と成長しました。その後、フィジーの手前で南に下がり、フィジーに接近し南東に通過しましたが、3月31日午後から4月1日の早朝に渡りフィジーの西部地域は、サイクロンに伴う大雨が長時間続きました。
それで、1日の昼過ぎから各地で洪水被害を発生させました、丁度満月(31日)と重なり、1日の上げ潮になった昼頃から川の濁流が土手を各地で越えました。


4月1日の早朝、やっと雨が小康状態になった頃の、我が家の近くの道路浸水状態です。


国道側の家の大きな木が、サイクロンの強風で倒壊です。



上げ潮になった昼過ぎ頃から、川から溢れた泥水が徐々に押し寄せてきました。


この頃は、なんとか4駆の車は通過していきました。


午後2時過ぎになると、4駆車も立ち往生です。右上のお宅は、1階部分が床上浸水を始めたので、家具などを2階のベランダに担ぎ上げてます。


午後3時近くになり、道路の冠水は、腰の上まで増えました。


我が家側の浸水の状況です。家の床のレベルは、この位置よりさらに1m以上余裕はあります。


道路向こう側の家々は、住宅の敷地レベルが低いので、この状態で床上1m以上だったそうです。午後3時過ぎの状態です。


我が家の2階のベランダから眺めた洪水の様子です。すぐお隣は、今は無人ですが敷地が低いので、庭と1階の床上に浸水が発生してます。


当然この頃は、ナンディ・タウンは、全域で洪水(道路上で、1.5m位だったそうです。)フィジーの西部地区各地で洪水被害で、特にバ町(ナンディの北方、約60kmの位置です。)が被害が甚大だったそうです。住民の死亡被害も発生してました。


フィジー気象局が発表した、TC JOSIE の進路予想図です。


サイクロンの接近に伴い、たびたび短時間の停電が発生してましたが。洪水後は1日から2日にかけて、長時間の停電でした。


ところが、次の低気圧が発達し、4月8日頃から再び強い雨が降り始めて、低気圧が、TC KENI (当初、カテゴリー1から最終的に3まで)に成長しました。
TC KENIは、JOSIEとほぼ同じコースを進み、9日から10日にかけて、再接近との予報で、フィジー政府は「緊急警戒警報(洪水・強風・大雨など)」を発令し、9日午後からナンディ・タウンの閉鎖及び関係者以外の立ち入り禁止。10日は、「ナンディ国際空港」の終日閉鎖も発表されました。先週に引き続き、公立学校も閉鎖、公共交通機関も停止しました。


この影響を受けて、9日から開催が予定されていた、「Fijian Tourism EXPO 2018」が中止になりました。すでにフィジーに入国していた、海外の旅行業者も沢山いたそうですが・・・1年に一度の、観光立国フィジーの最大の観光イベントでした。


9日午後から10日にかけて、強風と大雨が続きましたが、我が家付近は洪水は発生しませんでした。
この時、本島の北部のラキラキ町が洪水被害、サイクロン進路に近かった、カンダブ諸島が先のTC JOSIEの被害が片付かないうちに再び、サイクロンの来襲でさらに被害が拡大したそうです。


TC の「カテゴリー1」は、最大風速:64~82ノット(約32~42m/s)
TC の「カテゴリー2」は、最大風速:83~95ノット(約42~48m/s)
TC の「カテゴリー3」は、最大風速:96~113ノット(約48~57m/s)
TC の「カテゴリー4」は、最大風速:114~135ノット(約57~68m/s)
TC の「カテゴリー5」は、最大風速:135ノット以上 (約68m/s以上)


今年の季節外れの4月のトロピカル・サイクロンは、規模的には小型から中型で助かりました。


11日からは、青空も戻りました。


今回の連続して来襲したサイクロンで被害を被った地域、人々の速やかなる復旧を祈っております。


















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