南国フィジーで、のんびり退職生活

南太平洋のフィジー共和国で、のんびりと退職後の生活を送っています。フィジーの現地の色々な情報を発信します。

フィジーの人々(7)最北端の島人の悲哀

すでにフィジーに来られた日本人の皆さんは、リゾートなどで観光客のために開催されるイベントでポリネシアン・ダンスやファイアー・ダンスを鑑賞された事があると思います。

ポリネシアンの民族衣装で楽しい踊りを披露して、観光客の皆さんを”南国の世界”に誘います。


実は、彼ら、彼女たちポリネシアン系のダンサーは、フィジー本島からほぼ北に約500km離れた「ロツマ(ロトゥマ)島」(Rotuma Island) と言うフィジーの保護領(準州)の島出身の若者です(すでに二世、三世)。
フィジーで、フィジー系民族、インド系民族に次ぐ少数民族のポリネシア系フィジー人です。


上の写真は、ナンディ町のデナラウ・アイランドの「ポート・デナラウ」で、オーストラリアのシドニーから南太平洋を周航する豪華客船の乗客たちを歓迎するための歓迎するためのダンス・ショーです。


ロツマ島は南海の孤島のような存在で、住民もポリネシア系で言葉も違います。19世紀末に英国の植民地になるまで、フィジーとは別の歴史を歩んできました。


ロツマ島に残る伝説では、その昔サモアからカヌーで渡って来たポリネシア系の人たちが最初の移住者で、家族ごと7つの村を建設し、その後キリスト教の宣教師たちと一緒にトンガ人が移住したり帆船から追われたヨーロッパ人が永住したりして今日に至るそうです。
7つの村の酋長たちが、島を二分した争いが続き、ついに英国に保護を願い出て1881年に英国の保護領となり、1874年にすでに保護領となっていたフィジーと一緒に英国の植民地としての統治が始まりました。
1970年にフィジーは英国から独立しフィジー自治国として英連邦30番目の加盟国となりましたがロツマ島もこの時フィジーの保護領に組み入れられました。(多分、ロツマ島だけでは人口も少なく自立出来ないため仕方なく地理的に近いフィジーに入れられたのではと思います。)
ロツマ島の人々は、ロツマ人の都合も聞かず勝手にフィジーに組み込まれたことに大いに怒ったそうですが英国の都合に逆らえず泣き寝入りしたそうです。



ところが、1987年にフィジーで軍を中心としたクーデターが発生したことに、英連邦より強く非難されたことでフィジーは英連邦を離脱しました。
この機をとらえロツマ島の独立派住民は、ロツマはエリザベス女王の国だとして「独立宣言」を世界に発信しましたが、フィジー国軍の島上陸作戦であえなく鎮圧されその後の裁判でも負けました。
2001年の法廷判決では平和的な独立運動を続ける事は認められました。
フィジーが経済的にも政情不安の事もあり、辺境の地のロツマ島まで手が回らないのも現実です。
さらにフィジー人の社会でも差別を受け続けている現実も存在します。



のんびりと見える南の島々でもこんな悩みが今も続いています・・・
現在、ロツマ島の人口は、3000人弱でフィジー諸島への移住者も増えて色々な分野で活躍されているロツマ人も沢山いますが。


私の個人の考えは、ロツマはスイスの「リヒテンシュタイン侯国」のような立場で独立させて、世界で承認を受け国連に加入して、フィジーと合わせて2票のアピールで先進国の援助を受け、フィジー、ロツマの「国おこし」を図れないかなと考えていますが・・・
そうなればもちろん私は「国おこし協力隊」で参加します。







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フィジーの人々(6)インド系フィジー人 2

南国フィジーに根付いたインドの伝統文化と習慣の内、年間を通じて最大のお祭りが、ヒンドゥー教の“正月”と言われる、「ディワリ」(Diwali) です。別名「光のフェスティバル」とも言われ、ヒンドゥー教の女神ラクシュミーを祝うお祭りで、その4日目が正月になるそうです。
ヒンドゥー暦を用いるため、西暦では毎年多少日が変わり、10月末から11月初めになります。


この時期に買い物をすると縁起が良いと言われ、特に耐久消費財が売れるそうです。

もちろん、フィジー人たちもこのセールの買い物を十分に楽しんでいます。


夜になると各家でマスタード油のランプを灯したり、花火を上げたりイルミネーションで家を飾ります。(フィジーでは爆竹は禁止されています。)
特に経済的に成功した金持ちの家では、朝まで打ち上げ花火を上げてます。


ディワリの期間の大売り出しで、にぎわうナンディ・タウン。


ディワリで店内を飾り付けた地元スーパーとサリーで正装したインド系フィジー人の店員さんたち。


ディワリで正装した、ナンディ・タウンの免税店「プラウズ」の店員さんたち。



イルミネーションで飾りつけたアパートや個人住宅。


毎年、地元の新聞が選んだ、ナンバー1の飾り付けをしたお家の写真を新聞で発表します。
歩いて鑑賞する人たちも沢山いて、飾り付けを褒めるとお家の人からインディアン・スイートを振る舞われることもあります。
それを目的に家を巡っているフィジー人たちも良く見かけます。



「ディワリ」の前にヒンドゥー教徒の家では沢山の食材を買いこみ、各種のインド・カリーやインド式スープ、インディアン・スイートを調理して親族や友人が集まって楽しんでいます。


私たちも毎年、ヒンドゥー教徒の友人宅に招待され一緒にインドの正月をお祝いします。












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フィジーの人々(5)インド系フィジー人

フィジーに初めて来られた日本人の観光客が、フィジーにインド人が多いと聞いていても、フィジーの街やホテルで実際にインド人たちに出会って、こんなにも多いのかと驚かれるそうです。
現在、フィジーの人口、88万1千人の約38%がインド系フィジー人で、約33万5千人です。
フィジーの独立前からフィジーに移住し、主に砂糖キビ農場の労働者として働き、契約が終了してもフィジーで滞在する人が増えて今日に至ると言う事です。
1970年のフィジーの独立にインド人の経済力が大きく貢献したそうです。



だから、フィジーでは、インド系フィジー人と呼ばれています。彼らは公用語は英語ですが、家族ではフィジー・ヒンディー語(本国のヒンディー語とは少し違うそうです。)で会話し、約80%弱がヒンドゥー教、約20%弱がイスラム教徒で他にジャイナ教、シク教、キリスト教の教徒がおられるそうです。


上の二枚は、ヒンドゥー教徒の新郎新婦の結婚装束です。
昔はヒンドゥー教式の結婚式は1週間以上かかったが、今は3日間位で終わるそうです。
以前、ヒンドゥー結婚式の前日の花嫁側のセレモニーに招待された事がありますが、花嫁さんのサリーのお色直しが何回も続くので、何時まで続くか尋ねたら花嫁さんが持っているサリーを全部披露するとのことで結局、お色直しだけで2時間以上かかりました。




フィジーでは珍しいインド系フィジー人のキリスト教式の結婚披露宴です。
キリスト教徒は新郎新婦だけで、両家に家族はヒンディー教徒だそうです。






新婦の友人の歌の披露風景、後ろで生バンドが演奏しています。



子供たちの食事の席で料理が配られるのを待っているところです。



披露宴の食事は、インド系インド人の約70%がベジタリアンなので、普通の料理と、ベジタリアン料理が用意されています。もちろん、インド・カリーがメインです。
インド系の方々は料理は右手で上手に食べます。私はスプーンをお願いしますが・・・


のんびりとしたフィジー人と違い、インド系フィジー人は、技術系の仕事やIT関係、各種商売にたけて良く働き、フィジーの経済界をほぼ牛耳っています。
でも一時は人口の半分以上を占めたインド系フィジー人は政情不安の矢面に立たされ、海外への移住が進み、今では全人口の約38%までに減ってきています。
こういう場合、他の国でも働ける優秀な人材から出ていくので、フィジーの将来を心配する人もいます。








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