南国フィジーで、のんびり退職生活

南太平洋のフィジー共和国で、のんびりと退職後の生活を送っています。フィジーの現地の色々な情報を発信します。

フィジーの歴史 「トンガ王国」(Kingdom of Tonga)

トンガは、フィジーの南東、およそ1000km離れ、日付変更線のすぐ西に位置する4諸島大小170余りの島々からなり、人口は約10万5千人の国です。


トンガは、13世紀頃から14世紀にかけて、南太平洋で最も隆盛を誇っていました。
しかし、文字での記録を持たず、今では伝説としてのみ伝えられています。


そして、現在に至るまで、南太平洋で唯一、一度も欧米の植民地にならず、独立を果たし、王国を維持している国でもあります。


南太平洋の地図を開いて頂ければ理解出来ると思いますが、島々が数10キロあるいは数100キロ離れて散らばる広大な海洋大国だったと推測されます。


当時の技術で造られた、木造の双胴カヌーでこの海原を行き来して支配していたとは、今考えても想像を絶するような冒険だったのではと思います。


そして、19世紀にはフィジー征服の野望を持って、1千キロ以上を航海して戦いを挑み続けるとは・・・


私は、以前北ラウ諸島の小さな島のリゾートのGMとして滞在し、他に3島を管理していました。


その頃から、昔トンガの戦闘カヌーがしばしばラウ諸島に出没し、各島が襲われていたと聞かされていましたが、今回自分のブログでフィジーの歴史を書き始めた時、あまり知られていないフィジーとトンガの関係が分かって来ました。


私のフィジー人の嫁の故郷のタベウニ島も、当時ラウ諸島を征服し支配していた、トンガのプリンスで将軍だった「マアフ」(Ma'afu) の軍団にたびたび攻められていたと聞いていました。


トンガの深謀な戦略は、フィジーのラウ諸島に少しずつトンガから移民を送り込み、ある程度の勢力になった頃、1830年代、トンガ人宣教師を送り込み、キリスト教をも政治的に利用して占領政策を強化し、最後に1840年代、トンガ入植者の統率者として、マアフが乗り込み、軍団を組織し征服を完了させ、さらに他の島々を攻略して行きました。


これは、フィジー人の義理の兄弟が送ってくれた、マアフについて書かれた本の写真です。
この本は、手に入れてませんが、ネットで彼の事を検索して、彼はトンガでの王位継承の争いを避けるために、フィジーに送り込まれた事が分かりました。
そして自分の力で、フィジーのラウ諸島を征服し、初めてのラウ王(Tui Lau)になったと記されていました。
最終的には、フィジーの主権を脅かし、ビチレブ島で力をつけてきた後の、フィジー王ザコンバウの最大の敵になっていたそうです。


ちなみに、義理の兄弟は、トンガ軍侵攻を逃れて、北ラウの小島から部落ごと、タベウニ島に避難してきた人々の子孫です。


このトンガのフィジー征服の深謀な戦略を知るほどに、どこかの国の南の諸島で、今起きている現象が重なり、少し不安な気持ちにさせられました。




にほんブログ村 海外生活ブログへ
にほんブログ村


にほんブログ村 海外生活ブログ フィジー情報へ
にほんブログ村


にほんブログ村 海外生活ブログ 海外永住へ
にほんブログ村

×

非ログインユーザーとして返信する